美味しい日本酒を沢山常備しているとある料理屋にて、「日本酒はどうも甘ったるくてイケねえです。 辛口の日本酒もありますか?」なんて尋ねてみたら怒られました。
「あのね、日本酒ってものはね、甘いのが極上なんです。 だから、辛口辛口言わないで、ワシが進めるのを飲んでみてくだせえ」と、さんざんウンチクを語られました。
それ以来、日本酒に開眼し、日本酒の奥深さを研究する毎日をおくっています。
伏見(京都)、灘(兵庫)、西条(広島)。
冬。 11月から4月頃まで。
清酒の別称。 米からつくった日本の伝統的な醸造酒で、明治以降、外国からの酒に対して、それまでたんに酒と称していた清酒を、 日本酒として区別するようになった。 米、米こうじ(コウジカビ)、水を原料として発酵させ、濾(こ)したものであるが、醸造用アルコールや糖類などを添加してつくったものも存在する。
日本における酒の発展の過程は不明な点が多いが、8世紀に編纂(へんさん)された「播磨国風土記(はりまのくにふどき)」に、 カビの生えた乾燥した飯で酒を醸したことが記されているので、8世紀初めごろにはすでに、酒造りに麹(こうじ)が用いられていたことが考えられる。
酒は、はじめ濁酒(にごりざけ:どぶろくのこと)であったが、やがて濁酒の上澄みの部分や、絹ぶるいで濾した澄み酒がつくられるようになった。 酒造の技術は時代とともに進歩し、室町時代にはかなり現在の酒に近いものがつくられていたようである。
江戸時代以前は、季節をえらばず酒が造られていたが、末期ごろから寒造りに限られるようになった。 そのため、山間積雪地の農民などが農閑期に出稼ぎで 酒造りに従事するようになり、彼らを杜氏と呼んだ。 江戸中期以降は、水質と立地条件のよさから、現在の兵庫県灘(なだ)を中心とする地域でとくに酒造が盛んになった。
日本酒のアルコール度数は15〜16度。 原酒では17〜18度、またはそれ以上のものもある。
日本酒度とは、日本酒の比重を表す言葉。 日本酒の甘辛度合いを表す。
日本酒度計という浮秤で測定する。 水の比重を0とし、これより比重が大きいもの(水よりも重いもの)にマイナス(−)符号、 軽いものにプラス(+)符号をつける。 マイナスが大きいものほど甘口で、プラスが大きいものほど辛口になる。 明治時代の日本酒は、+10〜18というかなり辛口なものだった。 ちなみに日本酒の糖分は2〜4%。
酒の味は温度によって変わる。 甘みは温度が上がるにつれ感度を増し、35℃あたりが最も鋭敏に感じられる。 苦味は温度が下がるにつれて感度を増す。 酸味は温度にはさほど左右されない。 日本酒度のプラスが多いほど辛口になるが、酸の量も関係してくる。
日本酒の主な原料は、米、米麹、水。
日本酒に使われる米は、山田錦が最高級とされている。 他にも、五百万石、美山錦、雄町、八反錦などがある。 よい酒米の条件としては大粒、心白が大きい、 たんぱく質や脂肪が少ない、吸水がよいなどがあげられる。
山田錦は日本一酒造りに適しているといわれている米の銘柄のこと(酒造好適米)。 大正12年に兵庫県立農業試験場で、雄町系の短稈渡舟と山田穂を交配し、昭和11年に兵庫県の酒米の推奨品種となった。
山田錦は兵庫県で全生産量の86%にあたる2万トンが生産されている。 でんぷんの塊である中心部の心白が大きく、縦に2分しても吟醸酒作りに欠かせない麹がつきやすい。 米自体が溶けにくく、低温でゆっくり溶けるため、吟醸酒作りに向く。
※米は品種や精白度によって水の吸い込み方が違う。
日本酒は、雑菌が繁殖しにくい冬に集中して作られる。 11月頃から仕込みをはじめ、春先に新酒(あらばしり)をとる。 秋には旨味の乗った秋上がりとなる。 10月1日は日本酒の日とするのは秋上がりにあわせたもの。
酒造りの工程は精米から始まって、麹作り、酒母作りに約2週間、もろみ作りが20〜25日ぐらいかかる。 さらにもろみを搾ってから20日間ぐらいの間に、酒質調整のブレンドを行い、火入れをして貯蔵タンクに入れて、 全工程を終える。 この間トータルで50〜60日。
玄米の外側は酒作りの邪魔になる蛋白質、脂肪を多く含む。 それらを削り落とすために精米する。 普段口にする米の精米歩合は90%前後だが、吟醸酒になると、何日もかけて60%〜35%位にまで削り落とす。
日本酒のランクは精米歩合で決まるといっても過言ではない。 精米歩合60%ということは、米の40%をぬかにして落とすということ。 残る60%の米で作る。 精米歩合が下がるほどよい酒となる。
ちなみに精米した残りのぬかは、酒つくりには不必要なので、せんべい、あられの原料とされる。
吸水した米を一晩置き、強力な蒸気で蒸して蒸米とする。 蒸すことにより糖化しやすくなる。
蒸米はあるものは麹作りに使われ、あるものは酒母に、あるものはもろみの仕込みに使われる。 麹は蒸米に麹カビを生 やしたもので、酒母、もろみに入れて、米のデンプンを糖化していく役割をする。 酒母は蒸米、水、麹に酵母を加えたもので、もろみの発酵を主導する酵母を大量に培養したものである。 もろみは酒母に蒸米、麹、水を仕込んだもので麹の糖化と酵母の発酵を同時に進める。
米を蒸すための桶を甑(こしき)という。 底に穴があいている。 その年の米を蒸す作業を終え、甑を片付ける作業を甑倒しという。
蒸した米に種麹をつけ、米全体に繁殖させる。 麹菌はもやしに似ていることから「もやし」とも呼ばれている。 麹は熱を発するため、何度も切り返し、50時間ほど寝かせる。
麹室という常温の部屋で米に種麹という粉をふりかけてまぜる。 これを床揉みといい、汗だくになりながら上半身裸で行う。 その後一昼夜おき、箱に収め麹に育てる。
米をアルコール発酵させるには、米に含まれるデンプンやたんぱく質を糖にかえなければならない。 その役割をするのが麹。
コウジカビ(麹黴)は日本の醸造や、発酵食品に欠かせない子嚢菌系不完全菌類コウジカビ属の菌類の総称で、約185種が知られている。
しぼった酒を60〜65℃程度の湯で加熱殺菌すること。 酒の中の酵素の動きを止め、腐敗の原因をとりのぞく。
火入れ前の酒(生酒)には麹の酵素が働いていて、火落菌という雑菌が潜んでいる場合もある。 火入れはその働きを止め、腐敗、変質を防ぐために行われる。 パスツールがワインの腐敗を防止するためにこの低温殺菌法を発見したが、 日本ではその100年以上も前から酒蔵で行われていた。 ちなみに生酒は火入れしない。
※火落菌は乳酸菌の仲間で、日本酒に生えると乳酸を作り、酒を酸っぱくする。 また、ダイアセチルという臭いも形成。 日本酒ではツワリ香、 ビールでは若臭といって嫌われるが、バター、チーズにとっては重要な成分。 かつて火落ちした酒は、灰で直していた。 本来酸性である酒にアルカリ性の木灰を加えることによって、酒を中和し、火落ちを退治し、酒を直すというわけ。
熟成期間は酒質その他により異なるが、1ヶ月、なかには何年も寝かせた古酒もある。 出荷前に再度ろ過、火入れを行う。 ここで火入れをしないものがひやおろし。
酒作りをすべて終えることを、皆造(かいぞう)という。
酒造りは、ひとことでいえばお米を発酵させてアルコールにすること。
製造後5年以上貯蔵熟成させた日本酒。 酒は古くなると色がついて、味、香りとも悪くなると言われるが、酒の造り方や貯蔵年数、温度等の好条件が整うと、 思いも寄らない素晴らしい酒になる。
3年以上貯蔵すれば熟成の効果が顕著に現れることから、丸3年以上熟成させた酒を長期熟成酒と呼ぶ。 コクと重厚さを増す。
昔、酒は造った量に応じて課税されていたので、税金を払うためには、早く商品化し、現金に換えなければならなかったが、ある時期から、 出荷した量への課税となったため、置いておけるようになった。 どの酒を、どの状態で置けばどうなるかを、蔵元によっては実験している。
完成した日本酒を貯蔵しているタンクを開け、利き酒会を行う日のこと。 利き酒に使用する猪口(ちょこ)は白い磁器製で底に青い2重丸がついている。 これで透明度、色をはかる。
利き酒の手順としてはまず香りをかぎ、わずかな酒を口に含み、息をすいこみながら舌のうえで転がす。 そして口に含んだまま鼻から息を抜き、香りを味わう。 飲んではいけない。
以前は清酒に特級・1級・2級と3段階の級別制度があったが、1989年4月に廃止された。
生もと仕込みのうち、もっとも手間のかかる山卸し(米をすりつぶす作業)をなくした酒母育成法のこと。
山卸廃止を略して山廃という。 精米が水車などを用いて行われていた江戸時代、桶の中に蒸米と水を入れ、 櫂ですりつぶしながら山卸を行っていたが、近年精米機の登場により、蒸米をつぶす必要がなくなり、山卸は廃止された。
徳利の9分目まで酒を入れ、ぬるま湯につける。 弱火でゆっくりと温め、徳利の口まで酒が上がってきたら飲み頃。 ぬる燗は35〜40℃。 上燗は45〜50℃。 土のものである陶器と、石に近い磁器を用いるのでは温めた酒の味も違うという。
昔は9月8日までは酒をお燗しないで飲み、9日から百薬の長として温めて飲んだらしい。
飲み屋ではちろりをよく使っている。 鍋物には熱燗で、刺身にはぬる燗で、というように、 料理との温度差を作らないほうが口の中でよくなじむという話もあるが、それはお好み次第。
燗酒には日向燗(30度)、人肌燗(35度)、ぬる燗(40度)、熱燗(50度)とびきり燗(55度以上)という分類法もある。
ちなみに「徳利」という名は注ぐときの「トクリトクリ」という音からきたという話もある。
春のしぼりたての生酒は、冷やして飲むのが一般的。 冷酒は急に酔いがまわってくる。
冷酒は枡やグラスから少しあふれさせて注ぐのが普通。 そのために、受け皿が敷かれている。 このあふれた酒は、 枡やグラスの酒が残り少なくなってきた時点で、枡に移して飲むのが流儀。 まちがっても皿から直接飲まないようにする。 枡の角に口をあてて飲めば飲みやすい。
酒造りの職人の頭のこと。 農山漁村から造酒屋に出稼ぎにくる酒造労働者の総称を蔵人(くらびと)といい、 その責任者にあたる。 「とじ」ともいうが、俗に親司(おやじ)ともいい、 酒造家から日本酒の仕込みに関する全責任をおった。
名称の語源は、古来から神にささげる酒をつくるのは女性の仕事であり、一家の主婦の尊称である刀自(とじ)からきたという説や、 古代、造酒司(さけのつかさ)で酒をつくるのにもちいた容器の名称である大刀自(おおとじ)、小刀自(ことじ)からきたとする説などがある。
現在、山内杜氏(秋田)、南部杜氏(岩手)、越後杜氏(新潟)、丹波杜氏(兵庫・多紀郡)、但馬杜氏(兵庫・美方郡)、能登杜氏(石川)、諏訪杜氏(長野)、 丹後杜氏(京都)、安芸津杜氏(広島)などの杜氏集団がいる。
清酒醸造技能士の国家試験制度があり、杜氏資格者は「清酒醸造1級技能士」とよばれている。 女性が杜氏をしているのは、広島市の酒造会社につとめる1人のみである。
米のデンプンを麹菌が糖にかえる。 その糖を酵母菌が発酵させ、アルコールを生み出す。 二つの微生物をいかにたくみに働かせ、目指す酒を作り出すか、それが杜氏の仕事。
「こうじは、生命ですわ」日本酒の神とよばれる杜氏 農口 尚彦
醸造用アルコールはサトウキビのしぼりかす「廃糖蜜」からつくる。 純米酒は甘くて重いという好みもあり、醸造用アルコールを適量添加することで、薫り高く、すっきりとした飲み口になる。 又、酒の味を落とす乳酸菌の増殖を防ぐ役割もある。
米を蒸しておいておくと、糀菌(こうじ)が入って腐りかける。 すると甘くなる。 糖化するわけだ。 その時、イースト菌を加えると酒になる。 日本酒の原理である。 今日こそ 糀菌、イーストという言葉をつかうが、昔はそんな表現はしない。
酒屋には必ず杜氏という技術者がいた。 杜氏の仕事は、糀の素で発酵させた米を自然イースト菌と触媒させることである。いうなれば、甘酒に空気を吹きかけるだけである。 しかし むずかしいのは、このときの温度である。 熱ければイースト菌は死ぬし、寒ければ繁殖しない。 この適温を知るのが杜氏である。
イースト菌で発酵しはじめた酒をそのまま放っておくと、酢になるから、途中で火入れをする。 塩辛類はここで塩を使う。 日本酒は熱で菌を殺す。 このタイミングがむずかしい。 今日ではすべて科学的に処理されるが、当時は経験によるカンである。 この結果、菌が死んで、どぶろくができる。 そこに藁灰をまぜると、あく汁によって繊維と澱粉が収縮するから下に沈殿して、 上ずみができる。 それが今日の清酒である。 今日ではあく汁のかわりに薬品を使う。
簡単にいうと、米を蒸して麹菌で発酵させ、糖化したところに生ビールを入れると、日本酒ができる。 生ビールはイースト菌がはいっているからである。
こうしてできた上澄みを杉樽に入れる。 昔は壷にいれて、腐りかけると杉の新芽を漬ける。 杉はフーゼル油という油脂をもっている。 杉のヤニなのだが、このフーゼル油は防腐作用を持っている。 だから、昔の酒屋は杉の新芽を沢山用意してあった。
奈良県の大神神社という酒の神様をまつる神社は、杉の新芽でつくった玉を売っている。 昔、酒屋はそれを買ってきて、酒が腐りかけると漬ける。 すると元に戻る。 その杉を束ねたものを酒林(さかばやし)と呼ぶが、酒屋には昔、それを門口に吊ってあった。 だから酒林が吊ってあると「あそこは酒屋だ」とわかるわけで、これが日本の看板の元祖である。
このフーゼル油はレモンの皮にも含まれるが、結局、運搬するときに樽を杉で作ればいいから、江戸時代になって酒樽は杉樽になった。 日本人は杉を建材に使ったせいもあるが、杉の フーゼル油が染みこんだ酒の匂いを樽酒といって喜ぶ。
江戸まで運んでいった酒を「下り酒」、それを上方に持って帰ったのが「戻り酒」。 江戸まで馬の背に積んで揺られて酵熟した酒がもう一度、東海道五十三次を戻ってくる。 この戻り酒が 非常に高い。 なぜかというと、結局、杉の木のフーゼル油の香りが、全体にほどよく広がって酵熟しているからだ。
江戸の酒は評判がよくなかった。 酒の本場は当時でも関西だったわけである。 江戸の酒は、東海道を関西から下ってきたものではない。 つまり、下らない酒ということになる。 現在、 つまらないとか、大したことないとかのことを「くだらない」と表現するが、その語源は、この「くだらない酒」からきているのである。
日本酒造組合中央会によると、正宗という名の日本酒は、登録されているだけで130銘柄もあるらしい。
なぜそんなに正宗という名の日本酒が多くなったのか? 正宗の元祖だと称する、 櫻正宗の担当者によると、江戸時代当時の当主が新しい酒の名前を考えていたところ、 臨済正宗という経典を見て、そこからとったのだという。
07/05/10 管理人 オイ