常日頃愛読しているまさに血肉となった文献です。 オススメ本ございましたら教えてください、喜んで喰らいつきます(笑)。 メール
大変貴重な情報をありがとうございました。
図典というだけあって、キレイな写真やイラストが見物です。 未知の食材に遭遇したら、迷わずこれで調べます。 おのずと知識が増えていくわけです。
「どうしてもっと早くこの本に出会わなかったのだろう、否今だからこそこの本の価値が分かるかもしれない」
と深く考えさせられた名著です。
名料亭「吉兆」の創業者である湯木貞一氏に、花森安治さんはじめ暮しの手帖社が総力を挙げて聞き語りしたものを本にまとめています。
1〜4まであり、3か月かけて読破した結果 、劇的に料理の知識が増えました。 重複している内容も多く、1だけ読んでもエッセンスを得る事ができますが、やはり全てを読まないと湯木さんの魂を知る事ができません。 たとえば「蒸し飯」や「ぬたの素」等は何度も何度も語られておりますが、それは湯木さんがその料理を心底愛していたという事でしょう。 これから料理をはじめる人も、料理は極めたと思っている人にも強くお勧めします。
尚、この本については「醍醐味」さんよりメールで詳しく教えていただきました。 心より感謝いたします。
傑作です。 下母沢さんが新聞記者だった頃の昭和2年、東京日日新聞に連載されたものをベースに一冊にまとめてあります。 当時の役者、政治家、実業家等名士を訪ねては食について語ってもらい、それをまとめあげてあります。
邸 永漢は『邸飯店のメニュー』中で「食べ物のことが目の前に浮かび上がってくるような素晴らしい作品、食べ物の名著」と書いています。 又、伊丹 十三は『女たちよ!』中で「私は外国へゆく時は必ずこの書物を携えてゆくのです。 ロンドンで、ローマで、パリで、もう何十回読み返したかわからない」と書いています。 味覚極楽を読むにつれ、 下母沢さんの文体は、なんだか伊丹さんに似ているような気がしてならなくなってきました。 ということは、伊丹さんの文章表現は、もしかすると下母沢さんに影響されたものなのではなかろうか、 とさえ考えてしまいました。 そういえば、伊丹さんの『日本世間噺大系』は、組み立て方が味覚極楽に通じるものがあるような気がします。
ぷちぐるでは5年前、子母沢うどんのレシピをあつかったことがありました。 もっと早く、本書に出会いたかったと思っています。
ヘタなレシピ本買うよりも、これを読んだほうが為になります。 自炊に目覚めさせてくれた大切な一冊です。 この本が好きでたまらず、 檀流クッキング完全再現なるものに挑戦中であります。
この本はぷちぐる掲示板にてルイージさんから教えていただいたのですが目を通してみてビックリしました。 内容が濃すぎるのです。
料理の作り方だけでなく道具の説明、食材についてのあれこれ、どれをとってもその内容の充実ぶりに心奪われて数時間読みふけりました。
何十回、いや何百回でも読み返して、この本に書かれてある「料理の技術」を体に染みこませていこうと決心いたしました。 ルイージさん、ありがとうございます。
以下ちょこっと引用
- 季節により、あるいは体調や気分により、またサイフの重さによって限定された何千とおりかの可能性のうち、その日食うものを見つけだしてくるプロセスほどに楽しいことがあろうか。
- インスタントやレトルト食品は工業製品であって、生産性をあげ、広範囲の流通に耐えるためありとあらゆる化学薬品をブチこんで、毒物のカタマリになっている。
- 本屋に並ぶ料理書を見ても、多くは目うつりするメニューをふやすことに急で、じっくり伝統の重さを伝えてくれるようなものは少ない。
- 毎日なにを食べているか言ってみたまえ、きみがどんな人かを言ってみせようというのは誰だかあんまり有名でないフランス人が言ったのだが、たしかに「何を読んできたか」と問うよりも正確なはずだ。
- 工業製品としての食品は、本来の食品とはいえないということだ。
- 中国では「医食同源」といって漢方薬をさりげなく日常の料理に使ったりするが、日本では「毒食同源」になった。
- 昆布のうまみから抽出したといわれるグルタミン酸ソーダは窒素化合物で、60年代に石油化学が開花してからは、昆布どころか石油から作られるようになった。
- 「化学調味料少々」などと平気でテキストに書ける無神経な料理人を絶対に信用してはならない。 おつゆが「一味足りない」時に、塩を入れるか、醤油を入れるか、かくし味的に砂糖を入れるか、 酢を一適たらすか、酒をたらすかという判断も放棄して、「化学調味料少々」などとやる料理人は、どんなに材料をゼイタクしようとまともなものをつくれるわけがないからだ。
- アリストテレスは、「焼きものが最初でそれから煮ものができた」と書いている。
- 狩に参加したものが能力にかかわりなく平等に受け取ることのできる分け前をタマスと数えた。 柳田国男はタマシヒはここから来たという。 ヒ(霊)のタマスだ。
- 生のもと火にかけたものとのバランスが必要だ。
- 台所の片づけの核心は油の処理にあると桐島洋子さんは言っている。
- どんなごはんを食べてきたかで、その人の性格や精神史までわかりそうな気がする。 母が子どもにおくる贈り物である。 教育以前の原・教育である。 ごはんをうまく炊く工夫もなくなり、毎日 食べるものにブタのエサほどの関心も払わず、電気釜にぶちこんでタイマーをかけるようになってから、大量の教育ママが出現した。 生活の中で子どもを育てる能力が失われたのである。
- 食の自主管理を、きみの小さな流しとガス台からはじめてみよう。 手をうごかし、口をうごかしながら、自分の頭で考えてみよう。 地球人のウンメイはそこにかかっているのだ。
すばらしい本です。 なぜ家庭科の授業や調理実習でこの本に書いてあるような重要な知識を教えないのか不思議でなりません。 しかもこのシステム料理学は現在古本でしか手に入れることができません。 なぜこれほどまでに重要な本をクズ本の中に埋もれさせてしまうのか、考えると残念でしょうがないくらいです。 ぜひ復刊させて 、この知識を広く人類に役立てるべきだと、オイは思います。
丸元淑生のシステム料理学はぷちぐる掲示板にて、Imo-chanさんに教えていただいた本です。 この場を借りて、深くお礼申し上げます。
以下ちょこっと引用
- 私が料理をはじめた理由は、このままでは早晩病気になると思ったからだ。 私だけでなく、おそらく日本中が半病人の巣になってしまうだろう。
- 正しい食事をしていると、人間の味覚は正常になり、誤った調味を拒むようになる。
- 昨今の家庭内暴力や少年非行の記事を読むたびに私が疑問に思うのは、家庭の食事の内容や栄養素の欠乏が問題にされないことである。 アメリカでは考えられないことで、 過敏児と悪い食事や、暴力犯罪と鉛の異常体内蓄積の相関など、すでに明白にされている事実は少なくない。 鉛に限らず水銀やカドミウムなどの有害金属は、現代人が 環境や食事によって千年前の人類の千倍近くも体内に蓄積しているものである。
読むしかないと思います。 しばらく読み進むと、突如怒濤のレシピの洪水が押し寄せます。 しかもその勢いは最後までとどまりません。
丸谷才一さんは食は広州に在り、 檀流クッキング、私の食物誌(および舌鼓ところどころ)を 戦後の食べ物に関する三大名著とおっしゃいましたが、それにこの「聡明な女は料理がうまい」を加えて四大名著としたほうがよいように思えます。 男だって是非読んでください。
以下ちょこっと引用
- いまや女たちの料理力はどんどん退化して無能な男のレベルに近づき、おいしいものをみずからの腕でほしいままにする自由を喪失している。
- 料理らしい料理は料理屋にしかなくなっちゃった。 家庭の味は劇的な堕落をとげたわね。
- 私は献立を考えてから買い物に行くより、市場を歩いてそのときどきの肉や魚や野菜の表情をながめながらインスピレーションがわいてくるのを待つ。 きょうかこれがおいしそうだなとか安いなとか思う 材料と、頭の中にたくわえてある料理の知識や経験がピーンとふれあったときに献立が決まるのだ。
2012年、待望の復刻版が出ました↓
九つから禅宗寺院の庫里でくらして、何を得したかと問われれば、先ず精進料理をおぼえたことだろう。
と冒頭にあります。 オイは精進料理のことをよく思っていませんでした。 なんだか野菜ばっかり食べて、量も少なくて何も満たされないような気がしていたのです。
でもそれは違いました。 精進料理とは何なのか? こうあります。
いままで、はなはだ漠然とつかっていた「精進」なることばが、先徳の料理からさらによくしろといった意味であることを知れば、ぼくにとって、本李老師に随いた事の歳月が、 食味の歴史のふかい根雪になっているといわねばならぬ。
旬を喰うこととはつまり土を喰うことだろう。
本書を読むと、よく理解できます。
※先徳:徳のある先人。
昭和26年8月創刊、同43年4月の200号、翌月続200号をもって終刊された伝説の雑誌です。 商業雑誌ではないので原稿料はもらえないにも関わらず(そのかわり鶴屋八幡の羊羹や広告主の味噌などが送られてくるそうです)、 獅子文六、佐藤春夫、子母沢寛、今東光、 司馬遼太郎等、東西一流文化人を執筆者にむかえ、読んだら思わず生きることがうれしくなってくる誌面を実現しました。 毎月20篇前後の食べ物エッセイが掲載され、終刊までの総エッセイ数は、3000本前後にのぼるといいます。
鶴屋八幡というお菓子の老舗がスポンサーとなり、小島政二郎の肝いりで日の目を見た雑誌です。 邱 永漢は『邸飯店のメニュー』で「鶴屋八幡ほど商売気のないスポンサーも珍しい」と書いています。 本社三階の一室を編集室として提供し、人件費、印刷代の一切を受け持っているのにほんの申し訳程度の広告しか掲載していなかったそうです。
当時あまカラがヒットしたために、模倣雑誌が何十と出版されたらしいです。
この本はあまカラ全編から選び抜いた随筆をまとめたものです。 全三巻中の一巻です。 邱 永漢の『食は広州に在り』も本誌の連載でした。
※鶴屋の初代が虎屋から独立した時、八幡屋という小豆屋が肩を入れてくれて、その恩を忘れないために「八幡」と付けたそうです。
あまカラ創刊号以来ほとんど毎月連載されたのが、小島政二郎の『食いしん坊』です。 それをまとめた一冊がこれです。 当時文芸春秋社から出版され、ベストセラーになったといいます。
赤福というのは、江戸時代の餅米の中で一番いい餅米の名だそうだ。
しじゅう心をそれに向けていれば、必ず材料のいいものを売っている店は見付かるものだ。
世の中の亭主が、どうして自分ばかりうまい物を食べたりお酒ばかり飲んでいて、女房をうまい物屋に連れて行って味覚の発達を促さないのか気が知れない。 その方が、どのくらい一生の幸福で経済か分からないのにと思う。
毎日あなたは米屋、魚屋、肉屋、八百屋と交渉があるでしょう。 その時黙って買わずに、いろいろ質問して向こうの知識をわが物にすることだ。 その質問に答えられないような商人は、素人だと思って間違いない。 〜中略〜 こうしてまず、 料理法よりも先に、材料のいいのを手に入れることを考えるのが、うまいものを食べる最初のそうして最後の秘訣だ。
鶏についてはこの一冊で決まりです。 久しぶりに読みハマった本で、鶏のさばき方から各部位の料理への活用法等内容は 非常に濃厚です。 4人のプロが得意分野をそれぞれ担当しており、料理の写真も手抜きなくシブくて大好きです。 こんな本を待ってました。 柴田書店さんありがとうございます。
鶏をさばくことは、鶏を知るための第一歩。 おいしい鶏料理をつくるには、鶏を知ることが大事だ。 鶏一羽をさばけば、この部位はなぜ肉が柔らかいのか、なぜこんなに弾力に富んでいるかが分かる。
ついに手に入れることができました。 丸谷才一さんは食は広州に在り、 檀流クッキング、そしてこの私の食物誌を、戦後の食べ物に関する三大名著とおっしゃいました。 すでに絶版となっておりますが、amazonで購入することができました。
春夏秋冬、季節の食材ごとにおいしい食べ方が記されてあります。 辰巳浜子さん(1904-1977)は主婦であり、料理研究家でした。
ひとり暮らし 料理の技術で津村 喬はこういいます。
辰巳浜子さんの「料理歳時記」もすごい本だ。 野をわたってくる風のようにフレッシュで気持ちのいい本だ。 料理の本は数あれど、ただ一点といえば今度中公文庫に入ったこれを推す。
嵐山光三郎の文人暴食にこうありました。
酒味酒菜(しゅみしゅさい)という本がある。 (昭和52年刊) 心平74歳のときの料理本である。
居酒屋を開き、自らうまい酒の肴を調理してきた心平だから、「牛の舌」「ぞうもつのたぐい」「アケビの実」「ジゴボウ」「大根の根っぱ」「蓼科の山ウド」「がん漬け」「松本の馬肉」「茘枝」 「魚生粥」「血の料理」と、どれをとってもうまそうな料理のことを書いている。 「酒菜あれこれ」があり、「山菜談義」もあり、「わが酒」もある。
これは「檀流クッキング」と双璧であるから文庫本で再販して貰いたい一冊だ。
「檀流クッキングと双璧だって!?」とあわてたオイは、すぐさまネット中を探し回り、無事、手に入れることができたのでした。
- 鮭のなかで私は頭がいちばん好きだ。
- 以前から私は天ぷらのえびでは尻っぽが一番うまいと思っていたから。
- (サンマを)骨ごと、嘴や尻っぽまでも残さずに食べたのを森田さんはどう思っただろうかと、 後になって考えておかしかった。 (中略) あの脂身と骨の淡白さがまじって喉に運ばれるのは中々味なものである。
- 料理は玄人には勿論のこと料理人でない素人の私達にも無限に広い分野を展開してくれる。 子供がオモチャいじりをするような、そんな幼稚な私達の庖丁でも、 幼稚なら幼稚なりの面白いものが生みだされる筈だ。
- 夏海に行ったときなど、磯にひっついている小さな海藻類を片っぱしから生で味見してみるのも面白いだろう。
- 薬指ほどの長さの山椒魚が、もちゃげた石の下にいた。 私はそれを掌の上にのっけたがふいと口の中にほうりこんだ。
- (さわがにを)がん漬けにするよりも、思いきって目をつぶって生で食うのがいちばんうまい。 (中略) 別になにもつけない。 ジストマが心配な方は、たべたあとクレオソートでも飲めば安心だ。
- 車えびをゆでてマヨネーズをかけるのなんかは、鯛のさしみをゆでて食うようなものだ。
草野心平はこんな人です。
さらに文人暴食よると草野心平は吉本隆明に「不定職インテリゲンチャ」と呼ばれたとか、プロレスラーのような巨漢で背中に放浪者特有の殺気があったとか、 麻布で焼き鳥屋を始めて客と喧嘩して警察の留置場に入れられたとか、炭を盗んでつかまり、巡査を一升瓶で殴り倒したとか、新宿の屋台で焼き鳥屋をしていたときは友人の高村光太郎が 「東京で一番うまい焼き鳥屋だ」と太鼓判を押したとか、自分の店「火の車」に檀一雄が連れてきた客と喧嘩になり、表に出たところ、背後から忍び寄ってきた檀一雄がその男を投げ飛ばしたとか、 檀一雄と乱闘して仲良くなり、檀一雄にもらった犬をダンと名づけたとか、詩人の中桐雅夫が亡くなった際、80歳の心平は次のような詩で追悼したそうです。
心平さん、永生きしてくださいよ。
これがおれがもらつた。
君からの最後の言葉だつた。
中桐よ。
何れはおれも第三のふるさとに行くことになるが。
そこはまつくららしい噂だからすれちがつても分らないだらう。
もうない。
永久に会ふことはない。
またひとつ大切な本がふえました。
※そういえば檀流クッキングに心平ガユがあります。 うまいですから。
いやーいるんですね面白い人って。 この本でファンになりました。 東海林さだお氏の丸かじりシリーズ10冊分を 濃縮して1冊にまとめたようなおかしさと充実の内容です。 講談社エッセイ賞受賞。
江戸前寿司の一流店で嵐山氏が食べ、驚くべき表現力で記しています。
寿司屋で酒を飲む嬉しさは、ほろ酔いになって仕上げに握りをつぎつぎに食べるときで、「そろそろおしまい」と思いつつも「まだ何か食べられそうだ」と思いなおし、 渋茶をすする一瞬にある。 江戸の連中がよくも寿司という食べ物を考えついてくれたものだと感謝するばかりだ。
エンガワの昆布じめの握り。 エンガワは昆布でしめると生よりさらに弾力が出て、旨味がギュッとつまる。 エンガワの筋がエッチングの細密画のようで、食べる銅版画とはこのことであろう。
舌にしみいる情の深い味に年季が入り、食べ終わってしばしボーッとした。
家におかかえ料理人がいるというハイQの邱 永漢さん。 「広州」とは「広東」のことで、 普段口にしている料理の意外なルーツなんかもよくわかる一冊です。 本サイト内の随所で邱さんレシピを参考にさせていただいております。
昔から中国で言い古されてきた言葉が「食在広州」で、広州は食べ物の種類が多く、それがみな旨いことからきています。
※2012年5月16日、邱さんは心不全で亡くなりました。 88歳でした。 心よりお悔み申し上げます。 邱さん、あなたもまた、私の食の師匠です!これからも教えていただいた知識を基に、料理を追及していきます、今までありがとうございました!
「邸飯店」というお店が実際にあるわけではなくて、邸さんのお宅の料理のことをこう呼ぶのです。
昭和29年から57年まで、29年間に邸さん家におじゃました著名人の回想録です。 邸さんは、招待した人、日時、メニューの記録を保存しているそうです。
ある日あにげなくNHKを見ていたら料理番組が流れていました。 たしかタタキゴボウを作っている最中だったと思いますが、 めがねにスキンヘッドでやけに姿勢のよい講師の方で、言葉遣いが丁寧でなおかつわかりやすく、自信に満ちた説明をされておりました。
画面を食い入るように見つめたのですが、それはタタキゴボウの作り方を覚えるためというよりもむしろ、その講師の方のムダのない動きに思わず見とれたといっても過言ではありません。
この方こそが、あの辻留の辻嘉一氏だったのです。 14歳から包丁を握り日本料理、懐石料理の研究、普及につとめられた辻さんが本書では季節ごとに料理の解説を されておられます。 料理に対する真摯な心構えがひしひしと伝わってくる一冊です。
- い:一に料理は愛の表現
- ろ:論よりつくろう旨いもの
- は:腹の身の内腹八分
- (以下続く)
上のご馳走ばなしと共にオススメする一冊です。 表紙をあけてすぐに、辻さんが鱧の骨切りをしている写真があるのですがこれにシビレました。 額に入れて崇めたいくらいです。
辻さんは「いらっしゃいませ」とお客に挨拶をするときに出す料理の塩味を決めるそうです。 ゴルフの帰りという見当をつけたら、塩を濃い目に。 汗をかいた体は濃厚な味を好むからです。
ちなみに吸い物の塩分濃度は、血液の塩の濃さと同じぐらいにするとおいしいと感じるそうです。 0.7〜0.8パーセントだとか。
雑誌「四季の味」で20年間にわたり編集長を務めた方の本です。 各月に最適なレシピがズラリと列記されていますよ。 ぷちぐる掲示板でMOMOさんに教えていただきました。 この場を借りて、お礼申し上げます。
旅行先の宿に並べられていた古本の中からたまたま見つけ出した一冊で、手にとってパラパラめくっただけで良書だと思いました。
表紙をデジカメでメモしておいて、早速アマゾンで調べてみると、マーケットプレイスで見つかりました。 値段も相当安かったですし、いやホント、便利な世の中になりました。
本の内容は、食が大好きな編集者たちが200店もの料理店を4年余りかけて取材し、コツを聞き出してまとめたものです。
「お塩何グラム、スープ何カップ・・・」といった類いの巷にあふれる料理本とは全くちがう、板前やシェフの奥の手を開陳した書である。
と表紙の裏に書かれてありましたがまさにその通りです。 すぐにでも役立つ知識が詳しく記されてあります。 かなりおすすめの一冊です。
この本との出会いは、次の一行からでした。
どんなものを食べているか言ってみたまえ。 君がどんな人であるか言いあててみせよう。
これは美味礼讃の冒頭、アフォリスム(簡潔な形式の中に深い思考による真理を含ませた文)のひとつなのですが、この一文に心打たれたわけです。 以下その他アフォリスムを引用しておきます。
- 生命がなけれな宇宙もない。 そして生きとし生けるものはみな養いをとる。
- 禽獣はくらい、人間は食べる。 教養ある人にして初めて食べ方を知る。
- 国民の盛衰はその食べ方のいかんによる。
- どんなものを食べているか言ってみたまえ。 君がどんな人であるか言いあててみせよう。
- 造物主は人間に生きるがために食べることを強いるかわり、それを勧めるのに食欲、それに報いるのに快楽を与える。
- グルマンディーズ(美食家)はわれわれの判断から生まれるもので、判断があればこそわれわれは、特に味のよいものを、そういう性質を持たないものの中から選びとるのである。
- 食卓の快楽はどんな年齢、身分、生国の者にも毎日ある。他のいろいろな快楽に伴うこともできるし、それらすべてがなくなっても最後まで残ってわれわれを慰めてくれる。
- 食卓こそは人がその初めから決して退屈しない唯一の場所である。
- 新しい御馳走の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである。
- 胸につかえるほど食べたり酔っぱらうほど飲んだりするのは、食べ方も飲み方も心得ぬやからのすることである。
- 食べ物の順序は、最も実のあるものから最も軽いものへ。
- 飲み物の順序は最も弱いものから最も強くかおりの高いものへ。
- 酒をとりかえてはいけないというのは異端である。 舌はじきに飽きる。 三杯目からあとは最良の酒もそれほどに感じなくなる。
- チーズのないデザートは片目の美女である。
- 料理人にはなれても、焼肉師のほうは生まれつきである。
- 料理人に必要欠くべからざる特質は時間の正確である。これはお客様のほうも同じく持たねばならぬ特質である。
- 来ないお客を長いこと待つのは、すでにそろっているお客様がたに対し非礼である。
- せっかくお客をしながら食事の用意に自ら少しも気を配らないのは、お客をする資格のない人である。
- 主婦は常にコーヒーの風味に責任を持たねばならず、主人は酒類の吟味にぬかりがあってはならない。
- だれかを食事に招くということは、その人が自分の家にいる間じゅうその幸福を引き受けるということである。
以上、アフォリスムでした。 チーズの…というのは開高健氏の最後の晩餐で見たことがあるような気がします。 さらに「どんなものを食べているか・・・・は、美味しんぼの53巻や 参考文献のリストにもあげている津村喬氏の料理の技術でも見かけました。」
本屋でたまたま手に取ったのがこの本でした。 中身をパラパラめくってみると、なにやらかわいらしいイラストが満載でした。 どうもこういう本は苦手であり「どうせ内容は薄いんでしょう。 ふん」と、 平積みされていた場所に本を戻しました。
2、3日経ってからというもの、どうにもあのイラストが忘れられず、ひとつ買ってみるかという気になり、アマゾンで調べ、購入しました。 買って本当によかったです。 丁寧なイラストと共に、台所道具の 使い方、歴史が紹介されております。 相当な知識をこの本から吸収しました。 ありがとうございました。
自分が普段、常識だと思っていた食べ方や食に関する意識が、実はかなり地域性のあるものだった・・・!という衝撃の事実を知ることができる一冊です。
著者の勤務する日本経済新聞のサイトコンテンツ「食べ物新日本奇行」からいくつかのテーマをまとめたものになります。
人間は、知らない食べ物、食べ方にでくわしたときに驚きとともに拒絶反応を示す場合がある。 だが、私たちのこの企画にとって「自分と違うことに対する驚き」は、 豊かさと多様さとの出会いにほかならない。 嫌いなものを無理に好きになる必要はない。 ただ、「そんなの気持ち悪い」とか「食べ物として認めない」といった思いを捨てて、自分が知らない、 あるいは体験したことのない食べ物、食べ方を眺めてみると、日本という国が今よりずっと広々と見えてくるだろう。
栄養ジャーナリストであり料理研究家の丸元淑生さんが、まさに何を食べればよいのかをおしえてくれます。 「自分が好きなものばかり食べていればよい」とか、カロリーばかり気にしていてはイカン ということを詳しく書いておられます。 食について考えさせられる一冊です。
掲示板にてshinさんに教えていただいた一冊です。 添加物に興味のある方もない方も、市販食品を口にする全ての人に読んでもらいたい本です。
わかりやすい文章、表現は著者の人柄がにじみでています。 一気に読破しました。 以下少し引用しておきます。
- 特売品を見て、なぜこれはこんなに安いのかと考える人が少なすぎるのです。
- 弾力性を増すために使われる添加物に「炭酸カルシウム」というものがあります。 本来、弾力性向上の目的で使われることが多いのですが、 カルシウムはカルシウムだからということで、それが添加されているものは「カルシウム入り」とあたかも栄養強化の食品だと誇らしげに宣伝されていたりします。 まさに「物は言いよう」の世界です。
- たとえばみかんの缶詰は、内皮がむかれた状態で詰められています。 この皮は塩酸とカセイソーダで溶かして除去していますが・・・(続く)
- なぜ「カット野菜」「パックサラダ」は長持ちするのでしょう? それらが長持ちするのは、実は「殺菌剤」(次亜塩素酸ソーダ)で消毒しているからです。
- 一度の食事が、食べるのは一瞬でも、どれだけ手間がかかるのかを、子供たちに教えなければいけないのです。 手間のかかる食事は、子どもの「体」だけでなく「心」をつくることを知ってほしいのです。
- 「台所にないもの = 食品添加物」という図式のもと、「裏」を見て、なるべく「台所にないもの」が入っていない食品を選ぶだけで、随分、添加物の少ない食品を選ぶことができるのです。
- 私は添加物について、中学校の家庭科で教えるべきだと思っています。
- 食の乱れは食卓の乱れ。 食卓の乱れは家庭の乱れ。 家庭の乱れは社会の乱れ。 そして社会の乱れは国の乱れ。 私はそう思っています。
- 食べるということは、「命をいただく」行為です。 私たちはほかの生命体の命をいただいて生きているのです。
- 食べ物のありがたみがわからない子どもは、命のありがたみもわかりません。 人の命の重さもわからない。
- 日本語には「いただきます」というすばらしい言葉があります。 これはご存知の方も多いでしょうが、「動物や植物の命をいただきます」ということです。
- ものをつくる基準には「法の基準」だけでなく、もうひとつの基準があるべきではないか。 私はそう思うのです。 それを私は「まごころ基準」と呼んでいます。
- このままでは日本の食文化は滅びます。
- 本書で繰り返し述べてきましたように、現在、これほど情報公開が進んでいない業界も珍しいと言えるほど、食品業界では情報公開がなされていません。
食べ物はウマけりゃいいという話ではないと思います。 今自分が口にしているものは、いったいどうやって作られているものなのか?という風に、ちょっと考え込んでしまうキッカケとなる本です。
「吉田類の酒場放浪記」が好きで毎回欠かさず見ているオイですが、吉田類さんの一杯ヤッテル表情には独特の和みを感じます。
この本では東京の下町から地方の飲み屋まで紹介されておりまして、酒場放浪記がお好きな方ならば、晩酌後にウトウトしながらゴロ寝して読むのも乙なものかと思います。
この本の初版は昭和48年、文化出版局より出されたものです。 著者の佐藤雅子さんは自身の母、次いでおしゅうとめさんから料理の手ほどきを受けました。 もともとご自身も料理好きなものですからそりゃあもう、おいしそうったらありゃしません。 料理の作り方を詳細に記した佐藤さんのマイノートが元になった一冊です。
お料理は心をこめて作れば家族は必ず喜んでくれるという信念と、わが家の料理は私でなければできないという誇りだけはもちつづけてまいりました。
おそうざい用の素朴なお料理でもパセリやクレソンでお化粧してしゃれたお皿に盛りつけるなど、 ちょっとしたくふうでお客様料理になることに気がついたり、香料やワインの違いで思いがけないお味になることも発見しました。
父がよく申しておりました、「医者に払うより肉屋に払え」という外国のことわざも、ノートとともに私にはたいせつなものでございます。
「食事作りは、豊かなやさしい心を忘れないように。 腹をたてたり、いらいらして作った料理はそのまま盛りつけや味に出てくるものですよ。」 という母のいましめは忘れられません。
私は朝食のあと片づけをするとき、食器類を洗いながら、昼食や夕食の献立に必要な野菜類をゆでてしまいます。
栗原さん家の人気レシピからド定番レシピまで美しい写真と共に詳細に解説してくれてます。 用途の広い八方だれからカルパッチョソースの作り方等、和洋折衷ソースの作り方も充実の一冊です。
※この本はメールにてM様にご紹介いただいたものです。 ありがとうございました!
場所は渋谷、某ビルの一階にある日本酒専門の酒場を親子で切り盛りしている宮澤民子さんによるレシピ集。
薄い本ですが、季節ごとのおつまみや、時間をかけずに作れるおつまみ、定番料理の作り方などナカナカ濃い内容に仕上がっている一冊です。 しかもこの本、1,000円なんです。
駿河湾の桜エビ。
嵐山光三郎さんがうれしそうに船釣をし、その場で楽しそうに干物を作っています。 魚種別の干物作成法もいくつかありますので干物ビギナーの方にオススメです。
掲示板で以前ルイージさんに教えていただきました。 東京、麻布霞町の魚屋「いわ田」の三代目主人の書いた本です。 魚種別に調理法、ウンチクが語られていて大変勉強になります。
向田邦子さんは「魚はいわ田」だと決めていたそうです。
わざわざ参考文献としてあげる必要もないほど、幼い頃から慣れ親しんできた誰もが知るマンガですが、 それに長崎編があるということは知りもしませんでした。 長崎人として、是非一冊持っておきたいものです。
日本酒の素晴らしさを伝えてくれます。 「日本酒は甘ったるくてイケネエ…」と嫌っていたオイは、腕利きの某料理人に本当の日本酒の旨さを教えてもらい、 この夏子の酒で日本酒とは一体どういうものかを知りました。 この本ともう少し早く出会っていれば、と少し後悔してます。
全12巻ありまして、各巻の冒頭に作者:尾瀬あきらさんのコメントがあります。 それが非常に素晴らしいので、以下少し引用させていただきます。 このコメントだけでも一読の価値ありです。
幻の米「亀の翁」を復活させ、夏子の酒のモデルになったのは、新潟の久須美酒造です。
擦り切れてボロボロになるほど読んでいる本なのですが、冒頭このようにかかれてあります。
私達が料理をとやかく言ったり、美味い不味いを口にしますと、ぜいたくを言っているように聞こえて困るのですが、私が言うのはそうじゃないのです。料理の考え方ひとつで、仕方ひとつで、物を生かして美味しくいただける工夫、すなわち経済で美味・・・・・・それです。
心なしの業で物を殺してしまっていることが往々にありますが、それをもったいないと言うのです。 よいものをわるいものにして食べている事実を見るたびにそう思います。
よい材料を殺して、つまらないものにしてしまうのは、第一、造物主に対して、済まぬことであり、罰が当たるでしょう。 自分としても損失であり、恵まれないことでもあります。
(中略)
料理研究も食器美術にまで趣味が発展し、観賞眼が高くなってきますと、それはとても面白い人生となります。
この部分をたまに読み返しては、自分への戒めとしている次第です。
元々「魯山人味道」は、昭和49年6月,1000部の限定本として東京書房社より上梓され、それを中公文庫として公刊したものです。 あらゆる分野に素晴らしい才能を発揮した巨人の 食に対するこだわりがここにあります。
歴史を振り返ってみるなら、多くの芸術家は食いしん坊だった。 それは単に食欲の問題である以上に、彼らが生来的に抱いていた、世界に対する貪欲な好奇心に見合っていた。
あるものは優れたレシピ集を残し、別の者たちは後世の伝記を通して、その健啖ぶりが伝えられた。 彼らは、洋の東西を問わず、ラブレーの子供たちなのである。
-本書より-
世界中の芸術家が遺したレシピを実際その通りに再現して、試食し、そのあとでコメントをつけるという本。 芸術新潮に2002年から03年まで掲載された「あの人のボナペティ」というエッセイに加筆したもの。
ぷちぐる掲示板にて、Imo-chanさんに教えていただいた本です。 大変面白い本でした。 この場を借りて、深くお礼申し上げます。
フランソワ・ラブレー。 16世紀フランスの物語作家。 ルネサンス文学の代表者。 批判的精神をもって、 滑稽と風刺の物語を書いた。 主著「ガルガンチュアパンタグリュエル物語」。
火加減、塩加減、切り方のルールを守れば料理は美味しくなる! という本です。 ハンバーグを弱火で焼いたりと、考えさせられる事の多い本でした。 このページのコメント欄にてターさんに教えていただいた本です、ありがとうございました!
たまたま本屋で手に取った本で、パラパラめくってみてすぐに購入を決めました。 包丁の種類、造る工程、そして大変詳しい研ぎ方が書かれてあります。
これまでは見聞きして覚えたおぼろげな方法で研いでおりましたが、ようやく明確なイメージを持って包丁を研ぐことができるようになりました。 読んですぐ、 物置にほったらかしておいた「仕上げ用の砥石」を引っ張り出してきました(包丁)。
二度熟読しました勉強になる一冊です。
魚のウンチク学べます。
= おすすめの本です。
05/07/19