先日関東に行った際、居酒屋のメニューに「くさや」の文字を見つけました。
くさやは好物のひとつですから即注文すると、同席していた人々に怪訝な顔をされました。
「オイは九州人なのにくさや食べれんの?へぇー」と感心されたりして戸惑います。 ちなみにそのメンバーで、くさやを食べられるのはオイだけでした。 くさやを手でむしりながらつまみ、旨みが広がったところで熱燗をクッとあおればたまらんですもう。 すぐれた芸術が国を超えて愛されるよう、 美味もまた、ボーダーレスなのです。
聞いた話によりますと、なんでも都会では、くさやを焼いたら、近隣から苦情が来ることがあるそうです。 あいにくここは田舎ですので、お隣さんは離れておりますし、焼いても苦情は来ないと思います。
そうなんです、くさやを手作りしてみたんです。 どうしても、くさやを自宅でつまみたかったので、製法を辞書で調べ、実行に移しました。
まずはくさや作りの要であるくさや液を作ります。
この液に魚を浸して、干したものがくさやなんです。
くさや液の原料は、魚のワタです。 先日イワシを大量に購入しましてつみれをこしらえました。 その際取り除いたハラワタを、器にためました。
塩をワタにドサッと加え、かき混ぜます。 分量なんて、量っていません。 悪くならないように、山ほど入れました。
あとは器にラップをかけて、ワタが熟成するのを待つだけです。 一日に一回ザックリとかき混ぜては置く、という作業を繰り返します。
日がたつにつれ、ワタは次第に原形をとどめぬようになります。 そして酒盗にそっくりな匂いがしてきます。 酒盗好きとしてはだまっておられず、くさや液をすこし舐めてみますとやはり、酒盗そっくりな味がしました。
酒盗の旨みをまとった魚の干物・・・自家製くさやへの期待感が高まります。
くさや液そのものを見たことがありませんので、この状態で熟成完了としてよいのかどうかは定かでありませんが、 とりあえずこれで仕込んでみることにします。 ちなみに今回ワタの熟成に要した期間は、常温において、約2ヶ月です。
くさやにはくさやもろ、もろあじ、あじ、 さば、飛び魚、たかべ等脂肪分が少ない魚が用いられるそうです。 中でも「くさやもろ」を用いて作ったくさやが最上とされています。
今回は真アジを用いました。 腹開きにしています。 魚の開き方は一夜干しをごらんください。
開いたアジを、くさや液に浸します。 今回、丸一日浸しました。 浸しているうちに、魚から水気が出てきてくさや液が水っぽくなります。
浸しておいた魚を引き上げ、流水で軽く洗います。
あとは表面がカラリとするまで干すだけです。 今回、丸一日干しました。
さていよいよ、くさやを焼く時がきました。 あえて換気扇を止めて、どのくらい臭いのかを体験してみます。 ガスコンロの両脇にレンガを置いて網をのせ、 遠火の強火で焼きはじめます。 普段一夜干しを焼いている時の香りとは異なりますが、別に臭くはありません。 そうですね、まさに酒盗を焼いているような匂いです。
もっとパンチのある匂いがすることを期待していたのでガッカリです。
いざ焼きあがったくさやをみると、魚の表面が赤らんでおります。 これも普通の一夜干しと違うところです。 そして箸をつけますと、身が硬くなっていて思うようにむしることができません。 この辺は本物のくさやとよく似ています。
いざ手で身をむしりとってつまんでみると・・・旨いんです。 普通の一夜干しとは違う美味しさがあるんです。 ひとつの干物として完成された味がします。 酒盗の香りがほのかにしますが、くさや特有の香りが足りません。
家族にも食べてもらったところ、美味しいとは言われても「臭い」とはちっとも言われなかったので面白くありません。 皆が臭い臭いと騒ぐ中、悠々とつまんでいたかったのですが・・・・。
この風合いはそうですね・・・「くさやライト」といったところでしょうか。 現在、 もっと臭いくさやを作るため、くさや液に第二弾の魚を浸しているところです。
※自家製くさやは何故か、小骨が柔らかくなっているんです。 アジといえば尾びれ部分にあるゼイゴですが、 それすらムシャムシャ食べれてしまいます。 もしかするとワタ内胃にあった消化酵素が作用しているのでは、とか考えております。
小島政二郎の『食いしん坊』にあったクサヤの記述を引用します。
皆、大勢で大島へ行った時、元村の千代屋で食わしてくれたクサヤの味が未だに忘れられない。 東京だと、少し大き過ぎるかなと思うくらいの大きさのが、一人に一尾付けで出た。
大き過ぎると大味だがと思いながら、意地が汚いから真先に手を出して一ト口頬張って見ると、大き過ぎるも何もあったものではない、うまいのなんの、外のおかずに手が出せないくらいうまかった。
「こんなうまいクサヤ、大島で出来るの?」そう言って聞くと、「いいえ、クサヤはやっぱり新島です」という返事だった。 新島から、ついさっき届いたばかりだとのことだった。
誰も知っていて珍しくない話だが、泉錦花が上京して、紅葉先生のところへ書生に住み込んだばかりの頃、おかずにクサヤが付いた。 御承知の通り、クサヤというくらいだから臭い。 アジの腹綿を上から掛けながら乾かすとか言う。
後にはあれほど江戸崇拝になった鏡花も、金沢からポッと出て来たばかりで、クサヤなんというものを御存じない頃のことだから、「こんな腐ったものを食わせる」と思った。 そこで、新聞紙にくるんで、 そとに捨てに出た。 そういう話があるくらいだから、クサヤは好き嫌いが甚だしい。
一枚では足りないで、私はクサヤのきらいな人はいないかと箸を運びながらそれとなくお膳の上を注意していると、新居格さんがきらい、お嬢さんがきらい、画家の遠山陽子さんがきらい。
「僕にください」
右三人のクサヤを一人占めにして、私はノドを鳴らして食べた。 それほどプーンといい匂がして、新しくって、肉が引き締まっていて、堅からず柔らかかず、実にうまかった。
その時以来、もう二十年以上にもなるが、その後あんなうまいクサヤを一度も食べたことがない。 もう一度あんなクサヤが食べて見たい。
日本書紀にある「みさごずし」だと言われています。
「みさご」という海鷹が、海から魚を獲ってきては食べ残しを岩陰に隠していたら、海水がかかって自然発酵し、それを漁師が見つけ、「こりゃいい」とやがて作って食べるようになった、という言い伝えです。
※たまに行く八重洲の老舗「ふくべ」のくさやです。
11/03/24