青々としたレタスをちぎり、流水で洗ってから徹底的に水切りをしておきます。 水切りをしっかりと行うことは、あらゆるサラダで最重要な仕事です。 我が家では長年、OXO GOOD GRIPS サラダスピナーを愛用しています。
シーザーサラダにクルトンはなくてはならないものです。 クルトンはパンをさいの目切りにして揚げたもので、簡単に作ることができますが、 今回はあえて、そのかわりにカリカリに揚げたニンニクを使います。
個人的にはカリカリに焼いたベーコンが入っていないと気分が盛り上がりません。
ウスターソースをベースにしたドレッシングを使うのが本式だそうですが、自分が食べるんですもの、好きに作ります。
今回は醤油ベースの和風ドレッシングを作りました。 詳しい作りかたはこちらをどうぞ→自家製ドレッシング。
器にレタスを盛り、ドレッシングをかけ、ニンニク、ベーコンを散らし、パルメザンチーズを振りかけて、ワシワシといただきます。
シーザーサラダによくある白っぽいドレッシングをかけたい場合は、マヨネーズに洋からし、 オリーブ油、塩、胡椒、おろしニンニクを合わせて少量の水で溶けばできあがりです。
このサラダは、何故シーザーという名がつくのか? ジュリアス・シーザーを連想しがちですが、 まったく関係ありません。
メキシコのティファナにあったシーザーズ・パレスというホテルがルーツなのです。 このホテルは、 イタリア料理のシェフ、シーザー・カルディーニ経営のホテルであり、1924年のある日、サラダに使う野菜をレタス以外切らしてしまい、 厨房はパニックに陥りました。
「ありあわせの材料だけでサラダを作るしかない」と決心したシーザーは、レタスと卵にガーリック、クルトン、オリーブオイルにパルメザンチーズ、塩、胡椒、 ウスターソースなどの調味料を携えて、客席に向かいました。
そしてテーブルのお客が見ている前で、レタスだけのサラダを作り上げたのです。
すると「即席のサラダなのになんかちょっと美味しい」とお客を魅了し、この極めてシンプルなサラダは店の看板メニューになりました。 そしてその時、 シーザーサラダと呼ばれるようになったのです。
やがてこのサラダだけを目当てにやってくる人が、ハリウッドの映画人を中心に増えていきました。 往年の名優クラーク・ゲーブルもその一人だったと伝えられます。
日本ではじめて作られたのは帝国ホテルで、1949年のことでした。 たちまち人気がでて、カレーライス、シャリアピンステーキと並ぶ帝国ホテルの名物料理になりました。 かの力道山も大好物だったといいます。
現在でも帝国ホテルの定番サラダで、かつてシーザー・カルディーニがしたようにお客の目の前で、調味料の好みをたずねながら、作ってくれます。
サラダのドレッシングに、リーペリン・ウスターソースを入れることだと帝国ホテル東京の料理長は言いました。
オリーブオイルやガーリック、塩、胡椒、アンチョビに卵黄などでできたドレッシングに、リーペリン・ウスターソースを加えます。
このリーペリン・ウスターソースは、帝国ホテルのいろんな料理の隠し味としても使われているそうです。
※以上、シーザーサラダの発祥からリーペリン・ウスターソースまでは上前淳一郎『読むクスリ 37』よりお届けしました。
林 望の 『イギリスはおいしい』に次のようなくだりがありました。
酒も呑めない私は、こうした(イギリスの)パブのような所ではどうしているのかというと、 多くの場合はトマトジュースを飲む。 パブにはオレンジ、りんご、トマトといったジュース類を置いてあり、小さなコップ一杯分位の、かわいらしい瓶詰で並んでいる。
それらも、まず冷やしてあることはなく、何も言わないと生ぬるいまま出てくる。 トマトジュースの場合は、頼むと必ず「Lea & Perrin's?」と聞かれる。
これはリーアンドペリン社のウースターソースを入れるか、という意味の質問(イギリスではトマトジュースにウースターソースを入れて飲む人が多いのである)なので、 私はいつも「Yes, a lot, and some ice, please.(ああ、たくさん入れて頂戴、それから氷もね)」と答えることにしていた。
19世紀末にインド旅行したイギリス貴族が、魚醤を原料にしたソースのレシピを持ち帰り、リーとペリンという薬剤師にソース作りを依頼しました。
二人はウスターシャー州にてアンチョビ、野菜、果汁等を混合したソースを作ってみましたが、どうもしっくりこない味にしかならなかったので、 そのソースを入れた樽を放置していました。
やがて数年の月日が流れ、たまたまその樽を目にした二人は恐る恐るソースをなめてみたところ・・・なんとまろやかな熟成ソースになっていたのです。
これがウスターソースでありまして、リー&ペリン社により世界に広められましたとさ。
11/06/25