丸谷才一氏の『男のポケット』に、檀流クッキングに関する記述がありまして、 檀流クッキングと出会うひとつのキッカケとなりました。 以下に敬意を込めて引用しておきます。
これはじつに立派な本です。 一種の人生論になってゐる。
藪から棒にそんなことを言っても、話が呑込めないかもしれないが、檀一雄といふ特異な個性が自分の生き方をこの上なく鮮明に表現したのが、この料理の本にほかならない。
『檀流クッキング』でまづ目につくのは、文章がいいといふことである。 一体、日本の料理の本でいちばん困るのは文体が劣悪なことで、たいていは、何をどう煮たり焼いたりすれば何が出来るのかさへ判らない。
その点では暮しの手帖社の本がじつによく出来てゐて、いちいち納得のゆっく明晰な文章で書いてある。(余談一つ。 大江健三郎さんは料理の本を書評するとき、 いつも一つか二つ、自分でこしらへてみるさうだが、さういふ手間をかけてみると、暮しの手帖のものの値打ちがよく判ると語つてゐた。)
しかし檀さんの文章には、その種の基本的な明晰さ以上のものがある。 威勢がよく、生きがいいのだ。 たとへばオニオン・スープのくだり。
「タマネギはだんだん色づき蒸発してはじめの四分の一ぐらいになるだろう。 その色も半透明から薄茶色、やがて狐色に変わっていくだろう。 そこらあたりで火をとめる。 そのタマネギを、なるべく 天火用のしっかりした茶碗に移し、自分のところで自慢のスープを入れるがよい。 面倒くさかったら、固形スープでだしをとったって、本人の食べることだ、私は一向にかまわない」
最後の一句がきいてゐる。
それからもう一つ、ロースト・ビーフの作り方。 耐熱ガラスの皿に移して天火のなかに放りこむと、肉塊が焼けてゆく。
「時折のぞいて、下の野菜や、肉汁を肉塊にかけてみたり、肉塊を回転させてみたり、バターを足してみたり、ブドウ酒や酒をちょっとふりかけてみたり、いろいろ世話を焼く方が、おもしろくもあり、 おいしくもある。」
大サジ何杯だの、小サジ何杯だの、そんな厄介なことは言わないが、しかしじつに的確に教へてくれるし、それだけでなく、料理をするといふ仕事を、心から楽しんでゐる。 そのおもしろがり方 がすばらしい。
それはまことに積極的に人生に立ち向ふ態度であつて、生きることの喜びを味はひつくさうとしてゐる姿勢が、感動的でさへある。 料理なんて詰らない、とは決して思つてゐない。 オカラとトビ魚で大正コロッケを作ることが些事ならば、人生だって些事にすぎないといふ、堂々たる人生観がそこにはある。
それは一種の諦念のやうで、しかもその諦念には常に、何か勇気凛々たる趣がある。 おそらく檀さんはいつも、勇気にみちた風情でフライパンを持つのだろう。
女の人たちは、ときどき料理が厭になるものださうだ。 当然だらうと思ふ。 しかしさういふ場合、この人生の書は、奇妙に元気をつけてくれるはずだ。
以上
山形県鶴岡市出身の小説家、文芸評論家。 丸谷才一の本
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