「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」
という、誰でも知っている俳句が生まれた江戸時代、 初カツオを食べるのが「粋」で、江戸っ子ならば誰でも着物を質入れしてまで、 買って食べようとしておりました。 ブ厚く切って豪快に、喰らいましょう!
1、それではカツオを用意します。 程よいサイズの真鰹が魚屋さんにありましたので、一本購入してきました。 ちょっとツマミにするぐらいなら、魚屋さんに1/4ずつ切り分けられて売られているので、 それを背か腹、どちらか選んで買ってきます。
一本丸ごと買った場合は、丁寧に三枚におろします。 カツオは身が崩れやすいので、細心の注意をはらいましょう。 「初鰹」の時期としては、2、3月は台湾。 3、4月は九州、伊豆七島。 4、5月ならば野島岬沖だと言われています。
2、カツオの切り身を炙ります。 図は、コンロの両端にレンガを置いて、その上へ魚焼きの鉄板と網を置き、カツオを金串に刺して炙るの図です。 遠火で、直火を遮りながら炙ります。
3、上手い具合にカツオを炙れました。 炙り加減はお好みでどうぞ! このカツオに長いまま、塩を全体にまぶしつけます。
4、さらにその上からレモンを絞り込みましょう(レモンの切り方)。
次に醤油を。 続いてネギを加え、今度は「これでもか」とニンニクを投入します。
そして青ジソを散らし、もしもサンショウの葉があれば、こちらも投入いたします。
最後にダイコンおろしをふりかけて、包丁の腹や手のひらでパタパタ叩いたあげく、3cmぐらいの厚さに切って、豪快に食べます!
皮のまま、鰹に金串をとおして、ワラを焼き、鰹の表面をサッと炙ります。
薄く塩を塗りつけて、下駄の歯ぐらいの厚みに切り、コップに酢と醤油を半々、 それにきざみネギを鰹が見えなくなるぐらい全体にふりかけて、包丁の腹や手のひらでパタパタ叩きます。
これが平作りでありまして、唐辛子やニンニクで食します。
「土佐らしいモッサリとした大味が舌の上にまつわりついてきて、 コセコセした江戸や京の人間など糞喰らえぐらいの意気込みが沸いてくるから不思議である」と、 檀さんは『美味放浪記』に書いておられます。
以上カツオのたたきでした。 なんといってもこの、豪快な調理法がキメテです。 パタパタ叩いた挙句、3センチもの厚みに切って食らうワケでありますが、 大きく口を開けてほうばると、色んな薬味の味がして大変美味しく酒が飲めました。
高知風鰹のタタキでは、下駄の歯ぐらいの厚みに切るということなので、4.5cmぐらいに切って食べたのですが、一切れでもう口いっぱいであります。
以前こんなことがありました。 行きつけの居酒屋さんで朝までマスターと2人飲み明かし、そのまま魚市場まで仕入れに同行。 そしてその際、朝飯?でかぶりついたのが なんとカツオの切り身(1/4背)そのままでした。 1/4のカツオ(おおよそ600g)を手に持ちムシャムシャ食いちぎりながら、 カップ酒を飲み飲み仕入れに付き合ったワケですが、 そのヤイト鰹の味はいまでも忘れられない思い出となっています。
やっぱり鰹は厚く切って食ったほうがウマいということなのかな、と思います。
江戸時代、とにかく初鰹というのは高価で、庶民の口に入るようなものではありませんでした。
初鰹が高い理由は、外房で獲れたのを鮮度が落ちないうちに江戸に送るわけですから、当然コストがかかりまして。 冷蔵設備が整った今となっては、 特に鰹の季節というのはありません。
カツオが美味しいのは5月初旬から中旬で、伊豆沖から東京湾沖のカツオが美味しいといわれるのは、この海域が火山地帯で、海底に断層が多く、 黒潮が陸岸近くに接近してくるのでエサになる魚が生息しているからだそうです。
今では上のレシピのように、ショウガやニンニクで食べますが、昔はもっぱら日本芥子(からし)を使って食べました。
明治、大正から昭和初期まで存在したヒレ楊枝は、鰹の尾びれを塩湯で湯がき、バラバラにほぐしてから清水に移し、一本一本を丹念に洗い、 薄い酢にサッと浸したあと乾かして作られていました。
つまり、爪楊枝で「万年楊枝」と呼ばれて愛用されていたそうです。 ひれ楊枝を作りました→
カツオのたたきの本場、高知県には「塩たたき」という調理法があります。 醤油は隠し味程度にしか使用せず、そのかわり塩を用いて作ります。
© 2005-2021 ぷちぐる.